”初の外国人関取”となった高見山大五郎(たかみやまだいごろう)は、多くのテレビCMに登場し、テレビドラマにも出演するなど大人気となりました。更に、”ジェシー”の愛称で親しまれ、その名を付けたレコードまで発売しています。

1944年(昭和19年)6月16日、まだ正式なアメリカの州にはなっていなかったハワイ準州のマウイ島に、ジェシー・ジェームス・ワイラニ・クハウルアは誕生しました。この日、アメリカ軍が中国大陸から北九州への初めての空襲を仕掛けていて、太平洋戦争の真っ只中にありました。

青少年時代のジェシーは、砲丸投げなどの投擲競技を経験したのちアメリカンフットボールに転向し、その体力・体格を作り上げていきます。高校時代のある日、交通事故にあってしまったジェシーは、その後1年もの間歩けなくなるという不幸に見舞われ、後遺症も残ってしまいました。

昭和39年(1964年)、ジェシーは5年間は衣食住を保障するとの約束で、4代目高砂親方(第39代横綱・前田山英五郎)から大相撲へとスカウトされ、2月22日に来日しました。南国のハワイで育ったジェシーは、羽田空港に降り立って初めての冬の寒さを体験し、”間違ってシベリアに来てしまった”と震え上がったと言います。

初土俵は昭和39年(1964年)3月の大坂場所での前相撲で、四股名は本名のまま「ジェシー」でした。翌場所5月の夏場所からは、四股名を初代高砂親方(高砂浦五郎)と、同部屋で初の優勝力士である髙見山酉之助に因んで、「高見山大五郎」としています。

高見山は、昭和39年の夏場所は西序ノ口11枚目で6勝1敗で優勝し、翌場所7月の名古屋場所では東序二段71枚目へ昇進、この場所は7戦全勝でやはり優勝、続く9月の秋場所では優勝とまでは行かなかったものの、5勝2敗の好成績で、三度たったの一場所で上位の段へと昇進を決めました。

ただ、入門から1年経ったときのこと、アメリカ人である高見山に力士生命の危機がやって来ます。その頃には10年にもなっていたベトナム戦争のため、徴兵検査を受けることとなったのですが、幸いにも高見山の当時160キロという巨漢が不合格の理由となりました。

「外国人」として注目を集めて、ここまで大活躍を見せていた高見山も、幕下ではようやくそれも影を潜め、相撲の成績も時々負越すこともあって、14場所を幕下で過ごすこととなります。そして、昭和42年(1967年)3月の春場所で新十両となり、初の外国人関取となったのです。

高見山人気の下地には、彼の日本人的な考え方があるのでしょう。十両昇進と同時に日本永住を決意し、好きな芸能人は勝新太郎、タイプの女性は園まり・吉永小百合で、ブリジッド・バルドーやエリザベス・テイラーは嫌いだったといいます。

その人気で多くのCMに出演し、師匠からは”CM横綱”と呼ばれたといいます。最も有名なCMと言えば、「マルハッチ!」・「二倍二倍!二枚二枚!」というものでしょう。これが子供から大人まで広がり、このCMセリフの声真似は高見山の物まねの定番となりました。

昭和47年(1972年)には、テレビドラマ「変身忍者 嵐」にゲスト出演し、昭和52年と54年には「スーパー・ジェシー」と「ジェシー・ザ・スーパーマン」というレコードを発売もしています。

そして、幕内で前頭を上下していた昭和55年(1980年)に日本国籍を取得し、夫人の姓と四股名から日本名(本名)を「渡辺大五郎」とし、昭和59年(1984年)5月の夏場所をもって現役を引退します。最高位は、昭和52年(1977年)11月の九州場所での東張出関脇でした。