多くの名力士を生み出してきている大相撲では、平成に入ってからも多くの若手が上位を窺っています。その中の一人・北勝富士大輝(ほくとふじだいき)は、4横綱を4場所連続撃破するという、”4連続金星”の大活躍をしています。

平成4年7月15日、中村大輝は埼玉県所沢市に生まれました。後に御嶽海(みたけうみ)・宇良(うら)の平成4年生まれの若手力士と共に、「花のヨン組」と呼ばれることになる後の「北勝富士」のことです。

平成27年3月春場所、中村大輝は「大輝明道」として初土俵を踏みます。これはその当時「中村」という年寄名跡があり本名が名乗れなかったことと、後に四股名とする「北勝富士」という力士が他にいたからです。

翌場所5月の夏場所は、東序ノ口11枚目で6勝1敗の成績として、1場所で序ノ口を通過し、7月名古屋場所では序二段優勝を果たし、続く9月秋場所では三段目優勝を勝ち取り、いずれも7戦全勝で1場所で各段を通過しました。更に、11月九州場所で東幕下25枚目に付け、負け越し無しで幕下を4場所で通過しています。

平成28年7月名古屋場所、大輝は西十両13枚目に昇進し、次の9月秋場所では十両優勝を果たします。この十両の地位もわずか2場所で通過し、11月九州場所では「北勝富士」として、西前頭11枚目の土俵を務めたのでした。

この年の10月14日の秋巡業豊橋場所の朝稽古でのこと、当時大関だった照ノ富士の指名で”ぶつかり稽古”をした北勝富士は、通常は5分ほどで息が上がってしまうところ、13分にも渡って鍛えてもらい、終わってからは完全にグロッキーとなって、暫くは立ち上がれなかったと言います。

平成29年1月初場所、北勝富士は3日目に妙義龍を”押し倒し”で破ります。妙義龍は日体大の6学年先輩で、憧れの存在でもあって目標・理想とする力士だったことから、これで恩返しをしたということになるのです。

7月名古屋場所、第71代横綱鶴竜を破り、初めて金星(平幕=前頭が横綱に勝つこと)を勝ち取りました。取組は3日目のことで、決まり手は”押し出し”、勝ち残りで土俵下に座っている時には、何が何だか分からず目頭が熱くなったといいます。

続く9月秋場所では、第70代横綱日馬富士を破り、2場所連続金星を手にします。この場所では、左手首の負傷というアクシデントに見舞われ、7勝8敗と負け越しとなってはしまいますが、本人として”その中でよく7勝できたな”という思いだったのです。

そのまた次の11月九州場所では、第72代横綱稀勢の里を破り、3場所連続金星を上げ、初の三賞・技能賞を受賞しました。横綱との対戦は7日目でしたが、”寄り切り”という真向からの取り口で勝利し、”うれし涙は3個目だから、いいですよ”とコメントしています。

平成30年1月初場所、北勝富士は東前頭筆頭まで昇進しました。そして、第69代横綱白鵬も破り、4場所連続金星という輝かしい記録を打ち立てたのです。

但し、この場所の成績は白鵬への勝利以外にはあまりパッとしたところが無く、4勝11敗という初めての2桁黒星という結果でした。しかし、力量に優れた力士には運も味方するのか、翌場所3月春場所の番付では思ったほど降格はせず、西前頭6枚目での奮闘が見られるのです。