「大相撲」とは、公益財団法人「日本相撲協会」が運営する、相撲の競技興行の事です。年6回奇数月に行われる「本場所」の他、「地方巡業」・「花相撲」・「海外公演」・「海外巡業」などの興行があり、「本場所」の成績によって力士の格付けである「番付」が決まります。

「本場所」では力士の技量を査定し、その地位と給与が決められます。1月の初場所・5月の夏場所・9月の秋場所は、東京都墨田区横綱一丁目にある「両国国技館」で行われ、3月の春場所は大阪府立体育館、7月の名古屋場所は愛知県体育館、11月の九州場所は福岡国際センターで行われるのです。

本場所は一場所15日間、日曜日に初日が始まり、2回目の日曜日が中日(なかび)8日目、3回目の日曜日が15日目で千秋楽となります。毎朝8時頃から番付の下位から取組が始まり、午後1時からNHK-BS、3~5時頃から地上波での放送が夕方6時まで行われます。

「番付」に載る力士の格付けは、上位から「横綱」・「大関」・「関脇」・「小結」・「前頭」・「十両」・「幕下」・「三段目」・「序二段」・「序ノ口」となっていて、横綱から前頭までを特に「幕内」と呼び、この地位と十両が「関取」と呼ばれて給料が支払われるのです。

中でも横綱は一度昇進すると降格することの無い別格の存在で、その下位の大関・関脇・小結は「三役」と呼ばれてこれまた特別です。前頭は「平幕」とも呼ばれて地位は低いのですが、横綱に勝つと「金星」を与えられて、それに応じた手当が与えられることになります。

取組は東西から力士が登場して、丸く組まれた俵の「土俵」の中で、足の裏以外を土俵に付けるか、土俵外に出されるかするまで力を競うのです。また、番付では東西それぞれに各地位を配置しています。

本場所で行われた名勝負には、昭和34年名古屋場所と昭和35年春場所千秋楽の横綱栃錦VS横綱若乃花、昭和35年初場所12日目の小結柏戸VS前頭大鵬、平成3年夏場所初日の前頭貴花田VS横綱千代の富士、平成7年九州場所千秋楽の横綱貴乃花VS大関若乃花の兄弟による優勝決定戦などがありました。

「地方巡業」は、本場所の行われない時期に地方で行われる相撲興行です。元々は力士が所属する「部屋」やそのグループ「一門」だけで行われていましたが、年6場所制が確立した後で、相撲協会の管理下で全力士参加を原則として、地方の勧進元(興行主)主催で行なわれています。

地方巡業での勝敗は番付には関係が無いため、本場所と違って取り組みへの真剣さは低くなります。同様にトーナメント相撲・慈善相撲・奉納相撲・引退相撲なども公式戦ではないので、総称して「花相撲」と呼ばれるのです。

奈良・平安時代に行なわれた「相撲節会(すまひのせちえ)」という宮中行事では、東方力士が勝った時には”朝日を受けて咲く葵(あおい)の花”、西方力士が勝つと”夕日を受けて咲く夕顔(ひょうたん)の花”を、勝利した力士が髪に差して退場しました。その花が勝利の褒美との交換の証であり、花相撲の由来ともなりました。

また、江戸時代になると、組織化された相撲興行が行われ、観客は贔屓している力士や郷土の力士が勝つと、自分の羽織・煙草盆などを土俵に投げ入れました。勝利力士はこれらの品物を支度部屋に持ち帰り、それを投げ入れた客から引き換えに祝儀(所謂”はな”)を貰い、これが花相撲の由来ともされています。

大相撲は日本国内だけでなく、海外でも興行されます。招待を受けて行なう「海外公演」では、力士は「裸の親善大使」と呼ばれ、地方巡業と同様に協会以外の勧進元が主催者となる「海外巡業」があります。

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