大相撲初の”優勝決定戦”は、4力士(横綱・2大関・前頭)の争いとなり、最終勝者は第36代横綱・羽黒山政司(はぐろやままさじ)で、やはり横綱が強かったという結果です。

現在の大相撲での優勝は、各段における成績最優秀者としていて、本場所の1日1番組まれる取組(本割)の成績が同じであれば、本割とは別に対戦が組まれ、最優秀者を決めています。これが、大相撲における優勝決定戦で、昭和22年(1947年)6月場所から実施されました。

それまでは同じ成績となった場合には、番付上位の力士を優勝としており、上位力士の優勝が当然で面白みに欠けたり、下位の力士が上位と当らないまま優勝してしまう可能性があるという問題も孕んでいました。

史上初めて行われた幕内の優勝決定戦は、まだ東西で団体優勝を争う「東西制」が行われていたこともあって、9勝1敗で4力士が並ぶと言う混戦となりました。その力士は、第36代横綱羽黒山・大関前田山(後の第39代横綱)・大関東富士(後の第40代横綱)・前頭8枚目力道山(後の人気プロレスラー)です。

4人の場合の優勝決定戦はトーナメント方式で行われ、東富士と力道山は1回戦で敗れてしまいます。最終決戦は横綱と大関の一騎打ちで、結局は番付どおり横綱羽黒山が勝利して優勝となるのですが、敗れた前田山のこの後横綱へと昇進を果たしました。

2度目の優勝決定戦は、昭和25年(1948年)10月場所に行われ、2度目の挑戦の大関東富士と関脇増位山(現在歌手の人とは別人)の2人で行われました。この時の結果は、番付下位の増位山が勝利し優勝、大いに優勝決定戦制度を成功させ、敗れた東富士もこの後横綱へと昇進するのでした。

3度目の優勝決定戦は、昭和26年(1949年)5月場所に行われ、本割では行われることの無い同部屋対決が初めて実現しました。結果は、大関に昇進していた増位山が番付どおり勝利し優勝し、敗れた番付下位の前頭17枚目羽島山(最高位関脇)は敢闘賞を受賞しました。

8度目の優勝決定戦は、昭和33年(1956年)3月場所に行われ、初めての3人による”巴戦”となりました。結果は、関脇朝汐(三代目朝潮太郎)が、大関若ノ花(後の第45代横綱若乃花)と前頭15枚目若羽黒(最高位大関)を下して優勝します。

50回目の優勝決定戦は、平成7年(1995年)11月場所に行われ、史上初の同部屋兄弟力士の対戦が実現しました。勝利したのは大関若乃花(後の第65代横綱)で、弟の第65代横綱貴乃花を負かして優勝しました。

52回目の優勝決定戦は大混戦となり、平成8年(1996年)11月場所に、5人の力士によって戦われました。優勝者は大関武蔵丸(後の第67代横綱)で、敗退したのは第64代横綱曙・大関若乃花(後の第65代横綱)・大関貴ノ浪・関脇魁皇(最高位大関)の4力士でした。

幕内の優勝決定戦は、平成29年(2017年)までに77回行なわれ、多くの大相撲ファンを楽しませています。